『障害』について思うこと

『オリィ研究所のツイッター
『車イスを自由に使える動画』を見て、何故か涙が止まりませんでした。
私の脳の中のどこかの部分が反応したような感覚・・・
でも、涙の理由がわかりませんでした。


自分が将来、動けなくなったとき、(明日、そうなるかもしれません)
やっぱり、自分のことは、できる限り自分でしたい。
足が動かなくなっても、自由自在に車椅子を動かして、自分のしたいことをやり続けたいし、行きたいところにも行きたい。そして、人に頼らず、身の回りのことはできる限り自分でしたい。
と常日頃から思っています。
私は、身体が思うように動かない感覚を持ったことが、ほぼありません。

身体を動かすことに不自由がある方にとって、オリィさんのされていることは、すごいことですよね。

 


人がこの世で生きていく上での障害、この世界で生きていく上で、障害になっているもの……
身体障害、知的障害、発達障害
この今、住んでいる世界で障害になるから、『障害』になるのですね

 

 


長男の話になりますが、『自閉症』と診断されたことのある長男ににとっての『障害』は、
『今の日本の教育』かもしれません。

『いまの日本の教育にとって、長男は“障害がある”』

長男は、入学式の翌日から登校拒否

試行錯誤しながら、必死に登校させるも、親子ともども心身ともに疲れ果て、現在5年生。学校には行っていません。

『学校に行かないと、まともな大人になれない』という、無言の圧力

『学校がすべてとばかりに、学校へ戻るために奔走してくださる先生』

『学校にいけないと、居場所がなく、平日の公園への散歩も“僕、学校は?”と聞かれる始末・・・』

『学校以外の居場所が無い』


『今の日本の教育』というものを、視界から外してみると、
長男は、『障害』という枠は外れるように感じます。
話すとコミュニケーションできます。
自分で身の回りのことはできるし、簡単な料理もできます。
母親である私の相談に、的確な答え、アドバイスを出してくれます。

 

話は戻りますが
オリィさんがされている
『車椅子を自由自在に動かせる研究』
それはまさに、
身体障害者の方が、世の中を生きていく上で『障害』を無くすため

すごいことをされていると思います。

その情熱、考え、心意気に感動して、涙が止まらなかったのですね。

 

 

 

人として誕生し、みんな一緒。普通とは、なんでしょう。

共に幸せに生きていくために、声を掛け合いながら、

そして、人に喜んでもらえること、自分に何ができるかを考えながら(自分の強みを存分に発揮し)、人と共存していきたい。

 

自由に羽ばたき、強く生きておられるオリィさんに、強く感動し、憧れているのだろう。

長男もオリィさんにあこがれている。

私も、オリィさんのように、強く生きていきたい。