学校はいらない論について
『学校はいらない』という人がいるけど、そのことについて、不登校児を育てる母親である私が考えてみた。
『学校に行かせていたら安心』と思っていた私が、
長男が不登校になって感じたこと。
それは、
『学校に行かなくなれば、徹底的に孤独になる』ということ。
だって、子どもはみんな学校に行っている。
学校に行けなくなると、昼間は、自分一人だけ取り残されたような気持ちになる。
海である学校に、海水魚は行けるけど、
淡水魚である長男は、息ができなくなるのだ。
その淡水魚の居場所が無いのだ。
6~7割ほどの子どもたちは、今の学校制度に合っていると思うが、
合わない子も、絶対数にいる。
その子たちを、すくい上げること
SDGs 誰一人取り残さないために・・・
本当は、地域で、日本や世界全体が子どもを育てることができれば一番いいのだろう。
学校も大切かもしれないけれど、その選択肢が無くなった長男にとって大切なこと。
子どもたちを、自立する大人に育てるために・・・
独自の教育機関、地域や世界が教育なのかもしれない
『自立した大人』になるために、今何ができるか。
学校に行けなくなった今でも、
『まだできることはある』
『学校はいらない論』について
学校は必要だと思うが、学校は全てではないと思う。
子どもに合わせた教育が、たくさん出てきてほしいし、親である自分自身も、子どもに合った教育を見つけてあげたい。